人生色々!ぽんちの山あり谷あり読書日記

こんにちは!ぽんちです。当ブログでは、私の読書記録をゆるく主観的に書き記していきたいと考えております。本との出逢いは、人生を変える。素敵な読書ライフを提供します!

本日の読書記録〜西郷どん!〜(林真理子著)

どうも、ご無沙汰しております、ぽんちです。本日は、2018年大河ドラマで話題沸騰しております、「西郷どん!」(林真理子著)の読書記録を書いていきたいと思います。

まずは、簡単にあらすじと、本を読んでの感想を記入したいと思います。

 

当著は、かの有名な薩摩藩士、西郷隆盛の一生を描いた本です。元々の名を小吉と呼んだ西郷(以下、吉之助とします)は、薩摩藩の城下町近辺にある下加治屋町生まれで、貧乏ながら7人の兄弟姉妹がいる大家族と暮らしておりました。下加治屋町では、郷中の先輩や大久保利通の父親である大久保次右衛門から文武共に学びつつ、畑仕事や家族の世話に精を出しておりました。

そんな吉之助ですが、ある日行われた下鍛冶屋町の恒例行事である「心岳寺参り」にて、人生を変える大きな出会いが訪れます。道中の道半ば、突如として獣道に数騎の馬が駆けてきたため、道に膝をつき頭を垂れていたところ、今までお会いしたことの無いような凛々しく美しい男と出会いました。それが、薩摩藩次期当主の島津斉彬との出会いでした。あまりの感動に帰宅してから嬉し泣きしてしまうほど、吉之助にとって運命的な出来事でした。そして、実際に彼の将来にも多大なる影響を与えることになる彼にとって必要不可欠な出会いでありました。(続きは小説をお読みください・・・)

 

ざっと冒頭部分の幼少期を中心に「西郷どん!」の内容を記しましたが、この他にも2度の島流しにあうお話や、結婚のお話、江戸から明治への変動期における数々の著名人とのやりとりも描かれており、興奮しながらページをめくっておりました。そんな魅力的な本ですが、その中でも個人的に思うところ書いていきたいと思います。

 

1.江戸末期の人々の暮らしから考える現代生活

当著を読んでいると、僅かばかりながら江戸時代末期の生活の様子を伺うことができます。それを現在の我々の生活と比較しながら読み進めると非常に面白いものがありました。

まずは相違点について。吉之助及び当時の人々は、食糧に恵まれず、同じ衣装を毎日着回すような経済的には大変苦しい生活を送っていたことが鮮明に描かれております。また、産業も(特に地方であれば)農業が中心であり、年貢納めに苦しんでいた様子が伺えます。日本国憲法第25条で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保証されている現代からすると、大分身動きの取れない不自由な生活を送っていたように思えます。一方で、現代は(少なくとも表面上は)選択の自由が保証されているように思います。まずは職業の自由。農業を営むこともできますし、会社員として特定の会社に勤めることもできますし、またはフリーランスとして自分で仕事を獲得することもできます。また、我々は恋愛の自由もあります。誰を愛することも、誰から愛されることも(一応は)自由なのです。ライフスタイルもまた自由ですね。朝早く起きても、夜遅くまで起きてても自由ですし、食事を取る取らない、家で時間を過ごす或いは外出してアウトドアを満喫するのも自由です。食糧にも困らなくなってきて、(少なくとも表面上は)自由が与えられた社会になった今、江戸末期時代に生きていた人々はどう感じるでしょうか。なんとなく、現代社会を見てすんなりと「食糧もあって自由もあってなんて素晴らしい世の中なんじゃ!」とはならず、「確かに生活的には豊かかも知れんが、なんじゃろう、どことなく息苦しさを感じるわい」と言いそうに思うのは、私だけでしょうか。

次に共通点について。時代が違くとも、人が人であることには変わりません。本著を通して、そんな気づきがありました。まずは人間の欲について。良くも悪くも、当著では歓楽街の様子が描かれており、そこには娼婦を嗜む(楽しむ?)話もちらほらと出てきます。

 

「女というものは本当によかもんじゃ。あそこがやわらかくてふわふわしちょっ。男とはまるで違う。」(吉之助が母上が子供を何遍も生む理由について考えている時の他者のコメント)

 

現代でももちろん歓楽街は残っておりますが、昔も当然のようにあったのですね。最終的には、吉之助にも妾のような存在が京におりますし。たとえ時代が変わっても、人間が満たしたい欲望というのはそこまで大きく変わらないのかな、と思いました(強いて言えば、過去と比べて他者からの承認欲求が高まったでしょうか)。そして、もう一つが吉之助が坐禅を組み、思考を沈静化しようとしている事です。吉之助のような人物でも、色々とぐるぐる考えを巡らし、思考との葛藤で悩む様子が描かれています。そして、吉之助はそんな葛藤に対峙すべく、坐禅に取り組む様子が描かれております。私の勝手な偏見で「昔の人は心が豊かな印象」がありましたが、そうではなく、同じ人間として彼らも大いに悩みを抱え、それに苦悶していたのだと分かりました。そしてたとえ吉之助のような人物でも一緒で、その悩みとの葛藤は長い年月続いているのだと思いました。今の社会もそうですが、今も昔も人間の悩みの種、人生に求めるものは大きくは変わらないのではないかと感じております。

 

当作品は二度読んでも非常に楽しめる作品になっております。巻末の参考文献欄を見ましたが、林真理子さんの調査力には圧倒されます。当著を作るためにどれほどの努力をされたのかと想像すると、圧倒されるに違いありません。大変感情移入もしやすく、日常会話で「〜どっ」とか「〜さぁ、」とか薩摩弁を使いたくなってしまう魅力的な当著、皆様にも是非オススメしたいと思います。

 

それではまた次回をお楽しみに!

 

 

 

 

本日の読書記録 LIFE SHIFT-100年時代の人生戦略-

 ご無沙汰しております。投稿が2週間ぶりとなりました。今回は小説から離れて、啓発本とでも呼びましょうか、毛色を変えて「LIFE SHIFT-100年時代の人生戦略-」(リンダ・グラットン著)についての読書記録を書きたいと思います。

 まずはじめに、皆さんは御自身が何歳まで生きると考えておりますか?私は今までは「70~80歳まで生きるかな?」なんて考えておりました。現に、2017年の男性の平均寿命は80.98歳だそうです(2017年厚生労働省調査。ちなみに女性は87.14歳)。しかし、本著によれば、我々の世代(いわゆるベビーブームJr.世代〜さとり世代)は100歳を超える年齢まで生きるかも知れないのだそうです。

 

人生70年なら一生涯は61万3000時間だが、人生100年なら一生涯は87万6000時間になる(本著より)

 

「えぇぇぇ〜、そんなに人生長くなるの〜!?」と、お先真っ暗に考える方もいらっしゃるかも知れません。しかし、本著はそこの盲点をついて様々な持論を展開して、「長くなる人生において対処できること」を論じております。

私が本著を通して学んだ事としては、大きく以下の二つがあります。

  1. 我々の人生は「教育・仕事・余暇」と言う3ステージ制ではなく、多ステージの時代を迎える
  2. 有形資産の構築のみならず、無形資産の構築にも目を向けなければならない

1.我々の人生は「教育・仕事・余暇」と言う3ステージ制ではなく、多ステージの時代を迎える

 今までの時代は、20歳前後まで教育機関にて教育を受けて、基礎的な勉強と(人によっては)専門分野でのスキル習得を行い、仕事にてそのスキルを発揮し、65歳前後で引退する、という一連のストーリーが一般的でした。しかし、人生が100年になったらどうなるでしょうか?果たして、仕事の期間がそのまま長期化し、「ずっと働き続けなければならない」状況が続くのでしょうか。そんなことは無い、と言うより不可能に近いと、リンダは述べております。

ジェーン(仮想の登場人物)は労働市場の変化に対応するために、人生の途中で時間を割いて新しいスキルの習得に投資し、新しいテクノロジーを受け入れる必要がある。

 そう、我々は今まで主に一つのスキルに依存した仕事生活から脱皮し、途中途中で職自体の内容を変えるような変革を行わなくてはならない、と述べられています。テクノロジーの進化が読めない時代において、いつ自分自身の仕事が無くなるか、読み解くことは難しいはずです。そこで求められるのは、「その時代時代にあった適切なスキルを習得し、仕事に反映させる」、謂わば自己変容の受容とそれに対する行動力なのです。

 それでは、自身の変化を促すためには、何が必要となるだろうか。リンダは、本著において「自らのサンプルとなるような人物との出会い」、すなわち広範なネットワークが重要だと述べています。

活力と多様性に富むネットワークをすでに築いている人ほど、円滑な移行を遂げやすい(同上)

 まずは、「生涯一つのスキル・一つの仕事」に固着するのではなく、「仕事を大きく変える可能性もある」ことを念頭に置きながら、日々過ごすことが重要なのかも知れません。

 

2.有形資産の構築のみならず、無形資産の構築にも目を向けなければならない

 次は、無形資産についてです。そもそも無形資産とは何でしょうか?ここでは簡単に、自己の幸福といった自己の観点と、他者との関係性といった他者の観点の2つに区分できると考えます。さて、仕事人生を送っていた場合、どちらが主に増加していくでしょうか。おそらく、有形資産のはずです。仕事を続けることでスキル向上とともに、金銭的報酬も増加することでしょう。それでは、無形資産はいかがでしょうか。仕事に精を出していた場合、家族や友人と過ごす時間、もしくは新たな人的ネットワークの構築に充てがう時間は当然ですが減少していきます。もし、無形資産を疎かに取り扱っていた場合、もしかすると有形資産の損失以上に大きな痛手を被ることがあるかも知れません。例えば、自分自身がこれまで仕事で得てきたスキルがいらなくなった時。仕事がなくなり、誰かに頼ろうにも、これまで仕事に精を出してきたせいで、無形資産がほぼ残っておらず、家族からは愛想つかされ、友達はおらず。。。なんてことが起こらないことも無いでしょう。特に、人生が長くなるこれからの時代、一つのスキルに執着するのは専門性を極めると言う意味では大変良いかも知れませんが、少々リスクの伴う行為なのかも知れません。

特に興味深いのは、ハーバード大学の「グラント研究」だ。1938年〜1940年にハーバード大学の学部生だった268人の男性を75年追跡調査した研究である。この研究によれば、有形の資産が重要なことは間違いない。金銭的資産が乏しかったり、他の人より少なかったりすれば、不満が生まれる。しかし、人生に満足している人に共通する際立った要素の一つは、生涯を通して深くて強力な人間関係を築いていることだった。(同上)

仕事のみならず、適切に無形資産の構築とメンテナンスの時間も取る。そのためには多少仕事の時間を犠牲にすることを厭わない姿勢も重要なのかも知れません。

 

最後に、本著は人生プランを考える上で、新たな視点をもたらしてくれたと思います。これまでの3ステージ型の人生ではなく、多種多様なステージを持つ人生を送る人が増えてくると言う事実だけでなく、むしろ3ステージ制に癒着した生き方ではリスクを伴うという警鐘を鳴らしています。私自身、現在どう言う道に進もうか悩んでおりますが、「エクスプローラー」としてチャレンジしていこうと考えております。

 

 

 

本日の読書記録〜シャイロックの子供たち〜

本日は、再びとなりますが、池井戸潤さんによる「シャイロックの子供たち」についての読書記録です。

https://www.amazon.co.jp/dp/B00E7PC02K/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

 

当著書は、東京第一銀行長原支店に勤める様々な銀行員の日常風景を、銀行員の立場から描いた作品となっております。商業高校卒業後、30年余り銀行に勤めてついに副支店長にまで昇格した古川、御曹司に恋をする真面目で実直な北川愛理、それを支える飄々とした上司である西木、長原支店を業績面で支えるエリートバンカー滝野など、色の異なる銀行員が主人公として本作品に登場します。

 

当作品では、「組織の論理」の圧力に屈さないよう争う姿勢を見せる若手と、「組織の論理」の罠にハマった中堅、そして「組織の論理」に従順な古参の3タイプの人間模様が描かれております。

 

今回の作品では、若い頃程「バンカーとして顧客の価値になるようなサービスを提供すべき」という純粋なモットーのもと働いているが、年を喰うほど自己中心的なものさしで価値を測るようになり、ひいては「自分が昇進できるかどうか」で物事が解決されてしまい、そこには本来の銀行の使命たる「間接金融の担い手として日本経済を支えること」が無視されていると感じました。「業績をあげるかいなか」が判断軸の全てになっている、そんな雰囲気が読み取れました。銀行員という職は、世間一般的に見てもエリートで、誰でもなれるような職業ではないと思います。はたからみれば、一流大学を卒業して、日本のために頑張っていらっしゃる方々なのではないかと思います。ただ、本作品を読んでいると、銀行という世界の狭さからくる、息苦しさを感じました。同期との評価、追い上げてくる後輩達、そしてその評価・地位の影響が自身の家族へも影響を及ぼしてしまう・・・。評価と昇進に悩まされる毎日。息苦しさを感じるのは私だけでしょうか。

 

一方で、企業戦士として各々立ち向かう勇姿を見て取れるのは面白かったです。モチベーションの源泉が「昇進の有無」に偏ってくる気がしなくはないですが、やはり、バンカーとして融資先が融資する事でビジネスをうまく回し、それで融資先から感謝されれば、「バンカーやってて良かった」と思うのではないかと思います。

 

話は逸れますが、今後定型的な仕事って何かにだいたいされる可能性が高くなると思うのです。というのも、型が決まっているからこそ、問題点が見えやすいからです。当然、その型を覚えるまでは何年もかかるかと思います(例えば適切な融資判断をできるようになるためには、企業分析から顧客から情報を引き出すコミュニケーションテクニック、稟議書によって相手を説得するスキルなど、多方面でのスキルセットが必要になる事でしょう)。だかしかし、獲得したスキルセットを崩壊させるようなイノベーションが発生した時に、どうしようもなくなるのではないかと思うのです。その型通りに仕事をする面では長けていても、その型が通用しなくなってしまったらどうだろうか。ある意味で振り出しに戻ってしまうような気がします。だから、型は型で覚えることは重要だけど、そのスキルなり思考力なりを他でも発揮できるよう、仕事以外というか、日々の思考回路を開けさせることにある程度意識を向けなくてはならないのではないかと思いました。

 

・・・と独り言をぼやいてしまいました。当作品では、花咲舞のような「オラオラァ〜!」とかっ飛ばすタイプの主人公は登場しませんが(笑)、今までよりリアルな様相が描かれていると思います。銀行のリアリティを、それぞれの役職・立場から眺めて見たい方にはオススメの作品です。

 

〜ぽんち's 評価〜

読みやすさ:★★★★☆

⇨分量も多くなく、また短編集になっているので、内容が頭にすっと入ってきます。

 

面白さ:★★★★☆

⇨シリーズものではないため、ストーリーテリングというよりは、他の作品と比べてより銀行員のリアリティさが描かれていたように思います。そこが面白さのポイント↑↑

 

組織の論理度:★★★★★

⇨とにかく、銀行は組織の論理で動いていて、一銀行員がどうこう言ったところで簡単には動かせない、そんな巨大な陰の力を本作品より感じ取ることができます。

本日の読書記録〜花咲舞が黙ってない(池井戸潤)〜

本日の読書記録は、池井戸潤さん著書の「花咲舞が黙ってない」です。

池井戸潤さんと言えば、「半沢直樹」シリーズや「アキラとあきら」と言った、ビジネスシーンを取り入れた事件解決物が得意な印象的ですね。

 

そんな中で、今回は「半沢直樹」シリーズにおける、東京中央銀行として合併する前の物語として、東京第一銀行に勤める花咲舞に視点を当てた「花咲舞が黙ってない」についてご紹介したいと思います。

 

簡単なあらすじを言いますと、当シリーズは、東京第一銀行(東京中央銀行として合併する前の片割れ)の臨店指導グループ(※臨店とは、銀行員のスタッフが支店を巡って、融資に対する与信判断や日常業務が適切に行われているか確認することである)一員である花咲舞が、臨店を通じて出会う数々の事件の様子を描いております。

 

印象的なのは、何と言っても銀行という組織の人間模様が描かれていることでしょうか。中央銀行のような官僚的組織の中に蔓延する、悪の数々。。。それに立ち向かおうとするも、そう簡単に斬りこめず、苦心する花咲含め、臨店グループの一員。。。

銀行の「悪」に果敢に立ち向かう花咲を応援したくなる気持ちが生まれる一方で、銀行に潜む悪代官の存在に嫌気が指します。。。

 

また、当著書を読んでいて気になるのが、「俺はこれまでこんだけ会社に身も心も捧げてきたのに、、、」という会社に対する深い絶望感と恨み。会社への忠誠心が生み出す弊害ではなかろうか、と考えております。今の日本社会を見てみると、会社に対してスキルを売っているというよりは、「奴隷契約」に近いような雇用体系を取っているのかもしれません。会社に対して忠誠を誓うとともに、会社から「人生計画」を授かるような。しかし、会社が提案してくれた「人生計画」に従って全うに生きたからといって、決してその先に明るい未来が待っているとは限りません。

結局、自分の人生は自分で決めなきゃいけないのですから、日々の意思決定は自己責任のもと、自分自身で行う必要があります。だがしかし、日本において会社という組織上、基本的に自分自身の意思決定権も会社に委ねる構造になっているのではないでしょうか。会社がAをしろと言えばそれを実行し、こちらがBという提案をしてみれば却下されて怒られて、C案を実行しようと話が変わってしまう。そして、それに従ってしまう自分。。。いつの間にか、入社当初の闘志は消え去り、会社の中に埋もれてしまう自分。。。

ある程度、「仕事は仕事、自分の人生は自分の人生」と割り切って生活している場合は、仕事以外の場で自分自身を保てているのかもしれませんが、仕事一本の人は意思決定権すらも会社に任せっきりになっていやしないでしょうか。

 

・・・話が横道に逸れましたが(※英語で余談はdigressionと言います)、上記のようなサラリーマンの実態が、当著書から見て取れました(詳しくはぜひ読んでいただければわかるかと思います)。そういう意味で、「大組織の一員として働くことがどういうことか?」自分なりに解釈した上で就職しなくてはいけないのかもしれません。

 

安定した給与、保証された社会的地位、決められた将来像、、、どれも理想的で素晴らしく思えますが、実は言うとまやかしにすぎないのかもしれません。

 

少し長くなってしまいましたが、読んでいてサラリーマン生活に疑問を投げかけたくなる一冊でした(一方で、銀行員としての使命を全うする花咲含め銀行員の葛藤も見て取れて面白いです)。

 

まずは、私自身何を道しるべとして生きていくのか決めなくてはなりませんね。

 

それでは次回またお楽しみに!アディオス!

 

本日の読書記録〜「聞く力」心をひらく35のヒント〜(阿川佐和子著)

 本日は、累計185万部という大ヒットを記録した(と帯に記載してある)「聞く力〜心をひらく35のヒント〜」(阿川佐和子著)の読書記録を書きたいと思います。こちらの本は、阿川さんの20年超にも及ぶインタビュー体験を通じて得られた、数々のTipsが記載されております。数々の有名人と対談を果たした阿川さんから見て、「人の話を聞く」というのはどういう行為なのでしょうか?本書から得られたいくつかのポイントを記載したいと思います。

 

①「相手のとの『間』を大事にする」

 阿川さんは、相手に伝える言葉だけでなく、表情といった別の要素も相手にどう受け取られるかに影響すると答えております。その中の一つの要素として、「間」を挙げております。これは非常に難しくて、「何秒『間』を空けるのが良い!」という明確な答えはないと阿川さんは説きます。一つ事例をご覧ください。

「私、すごく太ったでしょう」
「いえ、太ってません!」
どうでしょう。なんとなく、傷つきませんか?本当は心の中で「太ったな」と思ったけれど、そう思った気配を察知されたくないので即座に否定したかのように見えます。

 

 確かに、こんな言われ方したらちょっと嫌な気分になりますよね。この「間」ですが、阿川さん曰く、相手の気持ちを汲み取った上で、その場で適切な「間」を設けるしかないと説いた上で、おおよそ2秒くらいが目安なのではないかとお話しされています。そういえば、日本人は「間」を大切にすると、高校の教科書で読みましたね。例えば、縁側(外と中の境目)とか。。。私も「間」を操れる達人になりたいものです。

 

②相手の立場に立ちつつも、相手との違いを忘れない

 相手と話するとき、相手の立場に立って話を聞くことは当然重要です。相手から相談を受けているにも関わらず、「ふ〜ん、それでさ、俺最近・・・」なんて自分の話するのは、身勝手でしょう?

 ただし、何が何でも相手の立場に立てば良い、という訳でもなさそうです。阿川さん曰く、「安易に『分かります』と言わない」べきだと説いています。

 
「結婚して1年足らずで主人は戦地で亡くなりました。その訃報が届いた日のショックは、今、思い出しても胸がキリキリするほどです。」
そう発言なさる未亡人に向かい、例えば聞き手のアガワが、
「ああ、わかります、わかります。さぞ辛かった事でしょうねぇ」
なんて答えたら、未亡人はかすかに気持ちがしらけるかもしれません。なんでわかるのかしら。結婚もしていない上に、戦争体験もないアガワに。

結局、「人は人、自分は自分」ということですね。あくまで我々は別個体であり、同じ経験をする訳ではない。それを持って、相手の話を聞くということがどういうことか。よくよく考える必要がありそうですね。

 

③相手のテンポを大事にする

 最後に、阿川さんのご指摘されている重要なポイントとして、「相手のテンポを大事にする」を挙げています。世の中には、話すスピードがドドンパ並みのスピードの方もいれば(最早速過ぎてついていけないです・・・)、亀さんが歩くスピード並みにゆっくりな方がいます。どちらにせよ、聞き手として重要なのは、「相手との『対話のテンポ』を掴み、会話の流れを作る」ことだと言えます。

 

「何が欲しいの?」
「あ〜・・・」
「お醤油?お醤油はあんまりかけない方がいいって、お医者様に言われたでしょ。塩分が強いんだから。薄味が身体にいいのよ」
「でも、明日は・・・」
「なに、明日?明日のことは今、決めなくていいの。心配ないから、ね」
高齢者のゆっくりとした話し方を聞いていると、最後まで我慢できず、つい先回りしたくなります。でも、待っていられないのは一方的にこちらの都合であり、高齢者は自分の言い分を無視されて、大いに傷ついていることでしょう。

阿川さんは、著書で「高齢者との対話」を事例として挙げておりますね。確かに、高齢者の話すスピードは遅い。でも、それに対してドドンパ並みのスピードで返事しても、まぁ会話成立しないですよね。

 要は、①にも通じますが、「相手との適切なスピード感を掴みにいけ!」ということでしょう。そうすることで、相手も自然と色々な話をすることができ、心地良い会話の流れが生まれ、当初想定していなかった会話もなされることでしょう。

 阿川さんは、対話者の話が止まったとき、余程のことが無ければ敢えて相手のペースに合わせ、無言を貫くそうです。相手が話始めるのを待つ。これは意識していないとそうそうできないと思います。

 

以上、3点本書よりポイントを挙げました。皆さんも、相手と対話をする時、むやみやたらと自分自身の話をしておりませんか?まずは、「相手に心地良く会話してもらうこと」を重視してみると、今までと違う「会話ライフ」を楽しめるのかもしれません。それでは、アディオス!!!

 

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久し振りの読書日記〜あなたに逢えてよかった〜

久し振りです。1年越しに読書日記を書きます。今は、なんとアメリカで生活しております。就職前はもうアメリカにいるとは思っておりませんでしたが、人生どうなるか分かりませんね笑

さて、今回久しぶりの読書日記という事で、まず1冊目は以下の書籍について取り上げたいと思います。

タイトル名:あなたに逢えてよかった

著者名:新堂冬樹

あらすじ:紅茶専門店「ブローニュ」で働く女性、吾妻夏陽(22歳)は、その紅茶専門店に通う星 純也(24歳)に心惹かれていた。いつか声を掛けたいと願うも、中々踏み出す事ができずに、悶々と過ごす日々。。。しかし、ある日、そんな彼と話をするチャンスが!そして彼からいわれた一言はなんと「よかったら、美味しい紅茶を飲みに行きませんか」。最初は可笑しく変に思うも、実はそこに深い意味があり・・・。MCI( Mild Cognitive Impairment)と診断された星純也と、それを一生懸命支えようともがく吾妻夏陽。二人の懸命な姿に心打たれるもどこか哀しさを漂わせる純愛小説!

 

とりあえず、あらすじみたいなのを書いてみました笑。

あらすじにもある通り、当作品は純愛小説であったため、どことなくくすぐったくなるような台詞が多用されており、また一方で現実味に欠けていた小説だったように思います。人物の心情描写が少しエキセントリックで、それがこの小説の現実離れした感じを招いているのかもしれない。

ただ、MCIの患者の描写はだいぶ鮮明に描かれていて、そこは著者が徹底的に調べたのだと感じました。自身の記憶が失われていく事に恐怖を抱き、もがき続ける純也。夏陽の事を忘れ去ってしまう恐怖と戦いつつも、そんな自分を夏陽に見られたくない心から、軽井沢の別荘で生活し、夏陽と離れる事を決意する。しかし、たとえ記憶が失ったとしても、彼の体が、もしくは彼の魂が彼女を好きでいる事をどこか覚えており、彼女を再度デートに誘ったり、声をかけようとする。これぞ、「運命の出逢い」なのだ!と言わんばかりに、純也と夏陽の親密な関係性を描こうとしている。

 

こういう純愛小説の良いところは、やはり「自分にとって大切な相手を大切にしたい」と再度気づかせてくれる所かもしれない。

私自身も、今居る大切な人をぜひとも大切にしたいと思う。これからもどうぞよろしく。

読書記録①〜入社1年目の教科書〜

読書記録①

タイトル:入社1年目の教科書

著者:岩瀬大輔

 

社会人になるに当たって、「必読」と言われたため、読んでみました。

この本からは、社会人になるに当たっての姿勢の一部を学ぶことができたかと思います。

岩瀬さんが三大原則として唱えているのは以下のとおり。

 

・頼まれたことは、必ずやりきる

・50点で構わないから早く出せ

・つまらない仕事はない

 

1と2は、私自身、いつもドツボにハマって何時間も無駄な時間を使っているように感じているので、上司や先輩方を頼って、どんどん進めていけたらと思う。

あとは、「1年目は遅刻しないこと」「朝の挨拶は誰よりも大きい声で」「1年目から貯蓄しよう」の3点は守ろう。

 

この本は、入社してみて、自分の行動を降りかった上でもう一度読むと、より新たな知見が得られるように思う。

また、入社後しばらくしてから読んでみたいと思う。