人生色々!ぽんちの山あり谷あり読書日記

こんにちは!ぽんちです。当ブログでは、私の読書記録をゆるく主観的に書き記していきたいと考えております。本との出逢いは、人生を変える。素敵な読書ライフを提供します!

本日の読書記録〜西郷どん!〜(林真理子著)

どうも、ご無沙汰しております、ぽんちです。本日は、2018年大河ドラマで話題沸騰しております、「西郷どん!」(林真理子著)の読書記録を書いていきたいと思います。

まずは、簡単にあらすじと、本を読んでの感想を記入したいと思います。

 

当著は、かの有名な薩摩藩士、西郷隆盛の一生を描いた本です。元々の名を小吉と呼んだ西郷(以下、吉之助とします)は、薩摩藩の城下町近辺にある下加治屋町生まれで、貧乏ながら7人の兄弟姉妹がいる大家族と暮らしておりました。下加治屋町では、郷中の先輩や大久保利通の父親である大久保次右衛門から文武共に学びつつ、畑仕事や家族の世話に精を出しておりました。

そんな吉之助ですが、ある日行われた下鍛冶屋町の恒例行事である「心岳寺参り」にて、人生を変える大きな出会いが訪れます。道中の道半ば、突如として獣道に数騎の馬が駆けてきたため、道に膝をつき頭を垂れていたところ、今までお会いしたことの無いような凛々しく美しい男と出会いました。それが、薩摩藩次期当主の島津斉彬との出会いでした。あまりの感動に帰宅してから嬉し泣きしてしまうほど、吉之助にとって運命的な出来事でした。そして、実際に彼の将来にも多大なる影響を与えることになる彼にとって必要不可欠な出会いでありました。(続きは小説をお読みください・・・)

 

ざっと冒頭部分の幼少期を中心に「西郷どん!」の内容を記しましたが、この他にも2度の島流しにあうお話や、結婚のお話、江戸から明治への変動期における数々の著名人とのやりとりも描かれており、興奮しながらページをめくっておりました。そんな魅力的な本ですが、その中でも個人的に思うところ書いていきたいと思います。

 

1.江戸末期の人々の暮らしから考える現代生活

当著を読んでいると、僅かばかりながら江戸時代末期の生活の様子を伺うことができます。それを現在の我々の生活と比較しながら読み進めると非常に面白いものがありました。

まずは相違点について。吉之助及び当時の人々は、食糧に恵まれず、同じ衣装を毎日着回すような経済的には大変苦しい生活を送っていたことが鮮明に描かれております。また、産業も(特に地方であれば)農業が中心であり、年貢納めに苦しんでいた様子が伺えます。日本国憲法第25条で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保証されている現代からすると、大分身動きの取れない不自由な生活を送っていたように思えます。一方で、現代は(少なくとも表面上は)選択の自由が保証されているように思います。まずは職業の自由。農業を営むこともできますし、会社員として特定の会社に勤めることもできますし、またはフリーランスとして自分で仕事を獲得することもできます。また、我々は恋愛の自由もあります。誰を愛することも、誰から愛されることも(一応は)自由なのです。ライフスタイルもまた自由ですね。朝早く起きても、夜遅くまで起きてても自由ですし、食事を取る取らない、家で時間を過ごす或いは外出してアウトドアを満喫するのも自由です。食糧にも困らなくなってきて、(少なくとも表面上は)自由が与えられた社会になった今、江戸末期時代に生きていた人々はどう感じるでしょうか。なんとなく、現代社会を見てすんなりと「食糧もあって自由もあってなんて素晴らしい世の中なんじゃ!」とはならず、「確かに生活的には豊かかも知れんが、なんじゃろう、どことなく息苦しさを感じるわい」と言いそうに思うのは、私だけでしょうか。

次に共通点について。時代が違くとも、人が人であることには変わりません。本著を通して、そんな気づきがありました。まずは人間の欲について。良くも悪くも、当著では歓楽街の様子が描かれており、そこには娼婦を嗜む(楽しむ?)話もちらほらと出てきます。

 

「女というものは本当によかもんじゃ。あそこがやわらかくてふわふわしちょっ。男とはまるで違う。」(吉之助が母上が子供を何遍も生む理由について考えている時の他者のコメント)

 

現代でももちろん歓楽街は残っておりますが、昔も当然のようにあったのですね。最終的には、吉之助にも妾のような存在が京におりますし。たとえ時代が変わっても、人間が満たしたい欲望というのはそこまで大きく変わらないのかな、と思いました(強いて言えば、過去と比べて他者からの承認欲求が高まったでしょうか)。そして、もう一つが吉之助が坐禅を組み、思考を沈静化しようとしている事です。吉之助のような人物でも、色々とぐるぐる考えを巡らし、思考との葛藤で悩む様子が描かれています。そして、吉之助はそんな葛藤に対峙すべく、坐禅に取り組む様子が描かれております。私の勝手な偏見で「昔の人は心が豊かな印象」がありましたが、そうではなく、同じ人間として彼らも大いに悩みを抱え、それに苦悶していたのだと分かりました。そしてたとえ吉之助のような人物でも一緒で、その悩みとの葛藤は長い年月続いているのだと思いました。今の社会もそうですが、今も昔も人間の悩みの種、人生に求めるものは大きくは変わらないのではないかと感じております。

 

当作品は二度読んでも非常に楽しめる作品になっております。巻末の参考文献欄を見ましたが、林真理子さんの調査力には圧倒されます。当著を作るためにどれほどの努力をされたのかと想像すると、圧倒されるに違いありません。大変感情移入もしやすく、日常会話で「〜どっ」とか「〜さぁ、」とか薩摩弁を使いたくなってしまう魅力的な当著、皆様にも是非オススメしたいと思います。

 

それではまた次回をお楽しみに!